ドラえもん映画作品を観ている

飲み会の席で劇場版ドラえもんが話題にあがった。あのシーンがいい、あのタイトルは凄かった、等々。子供の頃に結構みていたつもりでもよく覚えていない事が多い。

例えば魔界大冒険で敵がどこでもドアとタイムマシンを使って追いかけてくることに絶望を覚えたという話はさっぱり覚えていなかった。話を聞くに、気分はさながら進化中に攻撃してきたインフェルモンといったところか。そうだ、確かにドラえもんの未来道具を逆に利用してくる的は覚えがない。大体はあの四次元ポケットから出てきたものに対応しきれず、なすがままにやられていた。
と、いう流れがあって懐かしくなり、劇場版ドラえもんを改めて見返そうという思いが強くなった。過去に自分がどこまできちんと見ていたかも確認する意味もある。
だがこれが結構大変で、なにせ全部で40作品もある。一月以上かけてもまだ半分を超えた程度だ。見返し始めた当初はこんなに長くかかるとは思っていなかった。せっかくなのでなにか見返しながら気づいた感想などをメモしていこうと思う。

 

そもそも、当初は思い返すために見返し始めたのだが最後にきちんと観た映画はロボット王国までだった。そこまではなんとなく知っていた……はずだったが、宇宙開拓史、竜の騎士、アニマル惑星の記憶がなかった。うろ覚えですらないから本当に観ていなかったのかもしれない。宇宙小戦争が一番記憶が強く、よっぽど見直していたのだろうけれど、実際に見返してみるとパラレル西遊記も話が複雑なことに驚いた。
こうやって改めて見返すと、常にのび太スネ夫の自慢で「ドラえも~ん!」と始まるわけではないということに気付かされる。
また、環境問題に配慮していたりいなかったりと回によってメッセージ性が大きく異なることも発見だった。のび太くんは「地球を美しい星にします!」って毎回約束してるんだよなぁ。回を追うに連れそういう主題的な内容をのび太が叫ぶようになってきた。アマプラでずっと観ていたが、途中に新作ドラえもん映画の宣伝が挟むと毎回のび太くんが「大人は絶対に間違わないの!?」と叫んでいる。パラレル西遊記のび太とかは本当にどうしようもない奴なんだが。

 

劇症版ドラえもんにおいてはドラミちゃんがデウス・エクス・マキナの役割をすると何かで聞いていたものの、実際にドラミちゃんがでてきたのはパラレル西遊記と魔界大冒険のみだった。他の作品では名前すらでてきていない。本当のデウス・エクス・マキナは宇宙パトロールだった。なんなら特に困っていないであろう時でも話のオチをつけるためにタイミングよく現れて宇宙犯罪者を引き取ってくれる。

 

あとなんだか見ていて非常に気になってしかたなかったのは、なぜだか古い劇場版ドラえもんでは妙なシーンで急に作画がぬるぬる動き始めることがあるという点だ。どう考えてもそのシーンは重要ではないだろうに作画枚数が密なのかなんなのか、他のシーンとは動きが違う。昔から記憶に残っていたのは日本誕生の冒頭、古代人のククルが沢で魚を捕らえるシーンだ。沢から駆け下りていくククルが異常にぬるぬる動いていくのだが、その前後のシーンと差が大きいので昔から気になって記憶していたシーンになっている。

 

また、劇中で使われる音楽にもある時点から違いが大きくなってきた。途中からやたら武田鉄矢が出てくるというのもまぁそうなのだが、どこかから急にBGMが豪華なオーケストラを使ってたりするようになる。多分、銀河超特急あたりではないか、いやあれはあの回だけ特別だったのか。

 

この文章を書くにあたってシナリオを思い返してみたところ、敵役の立ち位置に気になる点があった。大体は4種類くらいに分類される。時空犯罪者、現地の悪党、宇宙人、そして突然変異体である。時空犯罪者はわかりやすい。大体タイムマシンを持っているし自ら種明かしをしてくれる。現地の悪党と宇宙人は、のび太たち以外の味方勢力にとって宇宙人かどうかで決まる。例えばアニマル惑星は攻めてきた敵はアニマル惑星にとっての宇宙人であるが、宇宙開拓史の敵はコーヤコーヤ星住民にとって宇宙人というほど得体のしれない相手ではなかった。突然変異体というのは宇宙漂流記がわかりやすい。アンゴル・モアは作品中で唯一の例外的生命体だった。また、イレギュラーを起こしたシステムもここにあたるため、海底鬼岩城やブリキの迷宮も突然変異体とみなしている。こういう分け方をしてみると敵の種類もなかなかかぶらないし、なぜ戦うはめになたのか、その敵対理由も様々だ。物によっては悪党ですらないため、普通に和解することもある。竜の騎士が特別なのかと思ったら雲の王国や創世日記もあるため、敵との和解は劇場版ドラえもんにおいてそこまで特別なものではないようだ。今後どうなるかはまだ観てないのでわからないが。
このへんで、いったん現時点で気に入った作品の順位をつけてみようと思う。

三位 宇宙小戦争

やはり思い出補正は強い。多分子供時代に一番観た映画だったと思う。気に入りすぎて武田鉄矢の曲も人前で歌ったことすらある。ドラコルル長官がいかに恐ろしく、かつ魅力的な敵であるかを書いたブログ記事を読んだ記憶もある。よくわからないんだけどドラコルル長官をみるとルパン三世を思い出すんだよな。声優にそんなに関連はないはずなのだが。

二位 ふしぎ風使い

最後の誰かを犠牲にして平和を得る・その際には全員が応援して敵味方なく助力するというシーンは最近の自分の好みの展開で、ちょっと最後のシーンがハマりすぎた。その一言に尽きる。フー子は可愛い。
あとこの作品の2・3作前から感じていたが、作画が変わってきており、ふしぎ風使いではそれが特に顕著になっていた。初っ端のフー子登場でスネ夫があたふたするシーンなどアニメにしては珍しいほどカメラワークが凝っていたように感じた。
一方でなんか少年アニメ臭さが非常に強く、なんかこれはドラえもんというよりポケモン(最初の3作くらいしか観てない)ではないか?という気にもなった。

一位 夢幻三剣士

改めて見直して思ったことは敵の鳥(トリホー)が登場した瞬間からいきなり不気味であるということ。ここだけ作品の雰囲気が違う。魔界大冒険のメデューサもなかなかに怖かったが、実はこのトリホーは強くない。強くないのに序盤にのび太を誘導する時点で不気味であり、驚異を感じさせる。こういったキャラクターが出てくるとやはり魅力的な作品に感じる。あとのび太が白金の剣士になった瞬間のシーンでテーマ曲が流れるのは定番演出ながらもやはり子供時代には印象が強かったのを覚えている。

 

他にも大魔境、鉄人兵団、パラレル西遊記、日本誕生、ブリキの迷宮あたりはそれぞれ一言二言感想があるが、面倒なので省略する。特にブリキの迷宮は悩ましかった。

これで2020年2月現在で全40作品中、24作品を観たことになる。次はワンニャン時空伝から。まだ残りの作品を観終えていないので確かなことは言えないが、おそらく劇場版ドラえもんは初期・中期・後期の3構成に分けられるのではないかと思う。初期と中期の境目はわかりやすく、OPの作りが明確に違う。南海大冒険あたりだと思う。その回から無理やり絶対に入れていた奇妙なCGがなくなった。そのあたりから合わせて作品の脚本の作りも変わってきていると思う。だが、後期がどこからなのかが自分の中でもはっきりしていない。というかまだ全部観終えてないのでこのあとまた確変が起きているのかもしれない。

 

当初は飲み会で藤子不二雄手塚治虫について語っていたのがきっかけだったはずだが、さすがに2000年代になってくると劇場版ドラえもんではその色が全くなくなっている。とはいえ話がコンパクトで難しくないのは共通しているため、適当に何も考えずに観ていても楽しめる。

自分がこれから観ていく作品は、リメイクがあるとはいえどれもこれも初見の作品なのでとても楽しみだ。全部見終わったらまた感想を書きつつ、他の人の記事やらまとめやらもみてみたい。